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| 昭和30年代から50年代にかけての高度経済成長期。昭和の末期から平成の頭にかけてのバブル景気。その2つの好景気の時代を駆け抜けてきたクルマ達がいました。クルマは当初、1人1台所有できる身近な物ではなく、当時のサラリーマンの年収の何倍もの高価な物であり、家を買うのと同じくらいの経済力が必要でした。つまり、国民のごく1部の高所得者のヒトしか所有することはできない贅沢品だったのです。昭和20年代後半、日本政府は「国民車構想」というスローガンを掲げ、各自動車メーカーに安くて家族4人が乗れて低価格なクルマの開発を推進しました。この構想こそ軽自動車の誕生を意味していたのです。しかし、この構想の内容は、とてもレベルの高いもので、すべての自動車メーカーがこれに適応する自動車を開発することはできませんでした。昭和33年春、富士重工はこの困難な構想を踏まえ、ついに1台の軽自動車を作り上げたのでした。これが現在でも根強い人気の「スバル360」です。とは言え、当時のサラリーマンの平均月給が10000円前後の時代、数十万円のこの「スバル360」は決して安くはありません。しかし、それまでのクルマ(トヨタではクラウン、コロナ、日産ではブルーバード、スカイライン、グロリア等)とは比較にならない程安く、庶民が「これなら自分も買える」と希望を見出していたのでした。スバル360は爆発的な人気となり、昭和45年の最終型まで実に12年間も売れ続けるというスゴいクルマでした。 刺激された各自動車メーカーは軽自動車や小型車の開発を急ぎました。スズキはフロンテを、ダイハツはフェローを、三菱はミニカ、マツダはキャロルと軽自動車が続々と発売されました。バリエーションもとても豊富でした。ファミリーユースのグレードはもちろん、仕事に使えるバンタイプ、若者にターゲットを絞ったスポーツグレード、特殊な装備を施した豪華グレード等・・・。続々と登場するさまざまなバリエーションの軽自動車たちに刺激され、スバル360もカスタム(バンタイプ)、デラックス(豪華仕様)、ヤングSとヤングSS)等いくつものグレードを追加し、エンジンのパワーも徐々に上がっていきました。
50年代後半から60年代にかけて、軽自動車はある1台が発売されたことをきっかけにとてつもないパワー競争に突入します。昭和56年、三菱は自社が販売する全車にターボを付けるというすごい構想をもっていました。この構想は軽自動車も例外ではなく、即座にミニカエコノターボが発売されました。これが初めてのターボ付き軽自動車です。FRレイアウトで2気筒OHCエンジンを縦置き、インタークーラーは無く、キャブレターで制御されていたエンジン、ブレーキも4輪ドラム、ギヤも4速と、現代のクルマとは比べてはいけない程お粗末ではありました。しかし、この「軽自動車初のターボ車」は各メーカーを大いに刺激したのです。スズキはセルボにターボを設定し、ダイハツはミラ、スバルはレックスにそれぞれ搭載したのです。それからは同じターボでもパワーで競争するようになり、60年代に入ると、ミラはTR−XXというフルエアロをまとったスポーツグレードを発表。スズキはアルトのターボに加え、DOHC(NA)エンジンのアルトツインカムを投入。さらにそれら2車種を合わせたアルトワークス(ツインカムターボ)が加わった。ここに当時最強の軽自動車が誕生した訳だ。スバルはターボ路線から脱し、スーパーチャージャーを搭載、さらに無段変速のオートマチックECVTを開発。スーパーチャージャーと相まって滑らかかつパワフルな独自の路線を進むことになった。 今回のお話しはこの60年代頃の軽自動車が一番元気だった頃のお話し。現在の軽自動車のようにどのメーカーでも個性がなく、みんな背が高く、便利で広々という優等生なクルマはまだ無かった。軽自動車とは本来、「国民車」であり、家族みんなが乗れて、安く、どこへでも自在に移動できる道具であった。その道具の進化がある意味最も極まった時代だと言える。この後、660ccに規格拡大され、進んだ軽自動車の道は大きく変わっていくこととなる。つまり、この60年代、平成初期(バブル期)で1つの「軽自動車の完成形」を見ることになったのだ。
一方スズキではアルトをベースにさまざまな試みが行われ、前述のアルトターボ、ツインカム、ワークスという一大スポーツラインナップが展開され、ワークスに至っては550ccで64psと当時としては普通車も顔負けの高性能振りを発揮していた。また、4WDのラインナップも豊富で、上記スポーツラインナップ全車はもちろん、NAの標準グレードにもすべて4WDの設定があった。今聞けばそれは普通かもしれないが、当時の他社の軽自動車では4WD車とはごく1部のグレードにしか無く、選ぶ余地はなかったのが実情だった。さらにファッション性をとことん追求したセルボも発売された。新開発のF5Bエンジンを搭載し、SOHCながら1カム12バルブという多弁エンジンでNAながらよく走るクルマだった。さらにルーフの半分以上をガラスにし、シートはグレーと黄色のツートンカラー、メーターの照明色も黄色で統一するなど遊び心満点だった。ここ最近、ホンダのエアウェイブや日産のラフェスタ等でふたたびガラスを大きく取り入れたルーフを持つクルマが出始めたが、20年近く前にスズキはそれをやっていたのだ。
このように自動車業界全体が活気に満ち溢れるバブル時代に、とくに軽自動車業界はさらに活気付いていたのだ。この当時のクルマ達を今でも時折見かけるが、さすがに古さは感じるものの、キレイに乗っているヒトが沢山いる。そういう方々がよく来店されるが、皆一様に同じ言葉を口にする。「当時のクルマは味があるし、とてもよく出来ている。」私もこの当時のクルマは数百台は売ってきた。実際に乗ってもいた。このヒト達の気持ちがとても良く解かる。現代のクルマにはない、何か独特のオーラのようなものを放っているのだ。それは各クルマ個々の性能や装備ももちろんだが、その時代に誕生したという事実そのものが放つオーラが非常に強く感じられる。そしてそれらのクルマに現在も乗っているヒトは決してそれを手放すことはない。あの時代の良さを実際に生きて体感してきているし、現代の低コスト、合理的生産物であるクルマに魅力を感じていないからだ。技術の進歩は確実に進んでいると思う。しかし、そこには置き去られた何かがあるハズだ。乗っていてその良さが伝わるクルマ。見ているだけで走りたくなるような元気が感じられるクルマ。こういうクルマに私もそういう人々もしばらく出会っていない。ただ、便利であり、広くて、普通に走る・・・。こういうクルマにしか出会っていない。そんなところにあの時代のクルマの良さを見出しているのだ。
メーカーには一度原点に帰って見つめ直してもらいたい。あの高度経済成長期に活躍した36ccしかない非力な軽自動車たちがどれだけの国民に夢を与え、そして大事に乗ってもらえていたかを。街に小さなクルマがトコトコ走り、それに乗る家族全員が楽しそうな笑顔。決して快適ではなかったかもしれないけど、それでもみんな嬉しそうに、楽しそうに軽自動車を走らせていた。後席ではしゃぐ子供達、前席で冗談交じりの会話で笑顔が耐えない夫婦、一生懸命荷物を運び、働きまわる軽トラック。多様なニーズが混在する現代、こうした軽自動車本来の姿、また、羨望の眼差しで見つめられたあの高性能軽自動車、あのときめきを私達にふたたび味わわせていただきたい。そう願って止まない今日この頃・・・。 モノは大事にすればいつまでも長持ちします。それが可能なのは持ち主の愛情以外の何者でもありません。今、あなたが乗っているクルマをもう1度見つめなおして欲しい。忘れてた魅力を見出して欲しい。そのお手伝いを当店ではさせていただきます。古いクルマだからと修理を断られたり、部品が無いから修理できないと断られたりしたヒト。諦めないでください。もしかしたら何とかなるかもしれません。 |
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